2017年5月12日金曜日

芥川龍之介の煙草と悪魔

 煙草が日本に入ってきたのはポルトガル人やスペイン人のせいではなく、悪魔のせいなのではないかという異説を物語にした。

 これはそもそも煙草を悪いものとした前提での話であり、かけに負けた牛飼いが、魂は盗られなかった代わりに煙草を日本全国に広めることにってしまい、誘惑に勝ったと思った瞬間にもう負けてるのではないかという、皮肉な話である。

 最初に述べておくが、私自体は煙草は吸わないし、煙草を吸ったこともないので、それが果たして美味しいものなのか不味いものなのかは知らない。

 ところで、この話で、悪魔は煙草の栽培をするのだが、悪魔というのは畑で植物を育てたりする事があるのだろうか。

 私のイメージでは悪魔というのはそういった、マメなことはせず、もっと即物的な行動を取るようなきがする。

 今回の煙草で云うならば、種を放り投げて、生えたら儲けものだぐらいに思いながら高みの見物をしているのではないかと思う。

 それでも、悪魔が煙草の栽培をするのは、意外にも耕作が好きだからなのか、それとも煙草がとても好きだからなのか、あるいは、人間に害を及ぼすためならば労を惜しまないということなのか。

 私は、これは、悪魔が自分で吸うために煙草を栽培しているのだと思う。遠く海外からやって来て、酒はあるようだが、煙草はない。
 ニコチンを吸いたくなった悪魔は、頑張って煙草の栽培をして、自分で使うのだ。

 だが、もし私が悪魔なら、煙草の栽培なんて面倒なことは自分ではやらない。誰かをそそのかして任せてしまう。

 栽培というのは結構力仕事だし、目が出るまでは毎日水を上げなければならない。それに、畑を耕すのだって重労働だ。
 できることならば自分ではやりたくない。

 私でさえこう思うのなら、況んや悪魔をや。といったところだろう。

 一緒に船に乗ってきた者の中には煙草を吸いたい者だっていたはずだ。そいつに耳打ちする

「ここに煙草の種があるんだが、育てて吸わないか」

 すると、煙草を吸いたいやつは勝手に煙草を育ててくれて、悪魔もその煙草を吸うことができる。

 なんとも猿蟹合戦のうような話になってきた。
 よくよく考えるとあの猿はとんでもないやつだった。人に柿を育てるだけ育てさせて、実ったら勝手に取りに来て、さらにはカニに柿を投げつけて殺してしまうのだから。
 悪魔よりもよっぽど悪魔的である。

 まあ、何はともあれ悪魔が煙草を作ったら、それを広めなければならない。しかし、そこで、こんな賭け事をする必要があったのだろうか。
 ただ、煙草を渡してしまえば良かったのでは無いだろうか。

 それだと魂をもらえる可能性がなくなるから、わざわざ賭け事形式にしたのだろうか。

 私が悪魔なら、煙草ができたら、それを近隣の人々に配る。そして、先ずはニコチンの中毒者を量産する。

 そこからは、煙草と引き換えに魂を交換していくのだ。こうすれば、ニコチンの魔力に囚われた人々から大量の魂を奪うことができる。

 しかし、これでは日本中に煙草が広がらないと思うかもしれない。

 だが、大丈夫。儲かるもののところにははしっこいものがいつでも、すぐにやっているものだ。
 さっさと、煙草の種ないし苗を盗み色々なところで栽培を始めることだろう。

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