短編であるにも関わらず、話の本筋と関係の無いことが、最初の方に結構多く書いてあり、何の話なのかを掴むのに苦労した。
何でも太宰さんは怪我をしてお医者さんと仲良くなったのだそうだ。医者とは哲学の話をして盛り上がるそうで、原始二元論の話などをしたのだという。
てっきりここからお医者さんと何かが始まり、それは哲学に関係することなのかなと思ったのだが、この後にこの話は特に出てこない。
私からすると、何のための記述なのだかよくわからないのだが、きっと文学的には意味のあるものなのだろう。
この原始二元論のくだりで善玉悪玉の話が出てくる。ビールを飲ませてくれない奥さんは悪玉なのだそうだ。
そう言えな吾輩は猫であるで苦沙弥先生も単語に喜劇悲劇があると言うようなことを言っていたのを思い出した。
文学の人たちと言うのは物事を善悪悲喜で極端に分けて見たくなるものなのだろうかと、関係ないことを考えた。
ところで、重要なのはどうやら医者ではなく、医者の奥さんの方らしい。
また、この奥さんとは別に小学校の先生の奥さんも登場する。
この小学校の先生の奥さんが度々病院にやって来る。
この小学校の先生が体調が悪いのだ。
で、奥さんが来る度に医者は、もう少し辛抱するように言う。
この辛抱が何のことなのかよくわからなかった。
いや、何のことなのかは何となく分かっていたのだが、まさかそんなことは無いだろうと、今までの健全な話から勝手に判断していたのだ。
要は夜の営みを禁止されていたということなのだ。
最終的にはその制限が解除され、小学校の先生の奥さんはルンルンと家に帰っていく。
そして、それは医者の奥さんの差し金だというのだ。
実は男性よりも女性の方がエロいという話は度々聞くが、太宰もきっとそう思っていたのだろう。
医者の奥さんは小学校の先生の奥さんが夜の営みができないのを大変不憫に思っていた。というか、思っていただろうと太宰は推測していたのだ。
これは、今と昔で違うのかそれとも同じなのか気になるところである。何となくのイメージでは昔の女性は清楚で奥ゆかしいイメージが有る。その反対に祭りになると乱交パーティになってしまう程の貞操観念のないイメージもある。
まあ、地域の違いもあるのだろうが、何か昔と変わったのだろうか。
というかこの話で一番気になったのは医者の奥さんの差し金で夜の営みが解禁になったということである。そこは医者の判断じゃなくて良いのか?
お医者さんであるからには誰に言われたからとかじゃなく、自分の判断で決定を下してもらいたいところである。
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