2017年5月9日火曜日

横光利一の笑われた子

 まっすぐには描かれていないため、わかりにくいところがある話だった。

 あらすじ


 主人公の吉の親は吉が将来なになるべきかを毎日話し合っている。すると、それが夢に出てくる。
 大きな顔が吉を笑っているという観念的な夢である。

 その次の日先生に三度叱られ、その吉の事を笑った顔を木彫りすることにする。

 それが、親にバレる。吉はそれを見せるのを大層嫌がり、拒絶するも、結局は見られてしまう。

 そして、親の勧めで下駄屋になる。

 25年経って貧乏な下駄屋である吉は自分の彫った、笑う顔に腹が立つ。
 「お前のせいで下駄屋になった」と

 下駄を叩き割った吉は、その材木でいい下駄が作れる気がした。

 感想

 自分の将来が勝手に決められてしまうという恐怖が夢にまで出てきて、そのストレスのはけ口として自分の意志でやった木彫りすらも、親によって将来を決める判断材料にされてしまうという話なのだろう。

 大きな笑う顔が夢に出てくると言うのはよく分かる。自分の漠然とした恐怖を寝てる間に整理しようという頭の働きがきっとそうさせるのだろう。

 しかし、面白いのはそれを木彫りすることで、固定してみようと思った心の動きである。

 木彫りをするまでに吉は三度先生に怒られている。
 
 一度目は算数
 二度目は習字
 三度目は礼

 これは吉の苦手なことなのだろう。

 数字に弱く、字に弱く、他人との関わりにも弱い。

 これで、吉は増々将来への不安を高めた。

 これにより、夢の顔を彫ることにする。自分の不安を形にすれば何かが変わるないし、分かると思ったのかもしれない。
 そして、何より大事なことはこれが吉自身の自由意志で行われたことであるということだ。

 結果、下駄屋にさせられてしまう。

 自分の考えで行ったことを勝手に踏まえられて、自分の人生を決められる。なんとも皮肉な感じがする。

 しかし、吉は本当は何に成りたかったのだろうか。

 木彫りを勝手に始めたからには、矢張り木を彫るのはやりたいことだったのでは無いだろうか。

 それも早計だ。何か一つやったことで自分という存在を規定される。一事が万事というわけだ。

 吉の親はずっと吉と暮らしていたにも関わらず、吉の気持ちも考えずに将来を考え、一つ判断材料ができたらそれに飛びつく。

 なんとも短絡的だ。子供のことを何も見ていなかったようなものである。

 それで、25年下駄屋を続ける吉も吉な気はするが。結局下駄を割って何が変わったのだろうか。
 
 自分の後生大事にしていたきっかけを割ることで、過去と決別できたのか。

 割れた木材をみて下駄の事を考えている時点で下駄屋は向いている用にも見えるが、矢張り自分の人生を決められるのは噴飯モノなのだろう。
 まして、それで貧乏とくればなおさらだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿