真相は藪の中という言葉があるが、この話はその原点になった話である。
事の起こりはある一人に人死が出たことから始まる。
山で、一人の男性が死んだというのだ。それに対して、四人の証言と、三人の当事者の話が繰り広げられるというものである。この聞き手は検非違使だ。
山で死んだのは旦那、そこにいたのは妻と、盗人だという。大体の証言であってるだろうと思われる事は、盗人が、妻に惚れて、手篭めにする。そして、旦那は木に縛り付けられてしまう。その後盗人は旦那の持ち物と馬を持ち逃げしたということだ。
ここまではどの証言でも同じなのだが、誰が旦那を殺したかが、全員バラバラの事を言う。
ここでいう全員とは、盗人、旦那、妻の三人のことだ。
盗人は、旦那と決闘の末自分が殺したという。
妻は心中するつもりだったが、旦那を殺した後に後を負えなかったという。
旦那は妻の態度に絶望して自殺したのだという。
つまり三人が三人共自分が殺したのだと言いはるのだ。
ここで、殺された旦那が証言をしていることに疑問を覚えるだろう。確かにそこは謎めいているのだが、
これは霊媒師が呼んで証言をさせているのだそうだ。
死んだ人間に証言をさせることができたらなんと便利だろうか。現在でもできない技法を過去にできたということにすると言うのは面白い考え方である。
まあ、霊媒師に呼ばれて証言した旦那の話を信じていいかというのも、一つの議論にはなると思うが、ここでは、旦那も証言ができたということにしておく。
また、もう一つ考えておかねばならぬことは、本当に真相があるのかどうかということである。これは、芥川龍之介に聞いてみないことには分からない。私個人としては真相は無いのだろうと思っている
というのも、これだけ三者三様にバラバラの事を言っており、それしか、判断材料が無ければどうとでも取れるし、どれが真実とも誰が嘘をついているとも、考えることが可能になるからだ。
ここで、全員が自分が殺したと言い張っているのは何故かを考えてみる。大体よくある話としては誰かをかばうために自分がやったと言い張る可能性だ。これは十分に有り得る。全員が誰が殺したかわからないから、最悪の事態を防ぐために自分が殺したと言い張るのだ。
これが、一般にありそうな解答のように思えるが、私はあえてここで検非違使犯人説を唱えてみたい。
そう、旦那を殺したのは検非違使なのだ。検非違使が殺しているから、証言は好きなように変えられるし、何より霊媒師が呼んだという旦那の証言など自分で考えたい放題である。であればなぜ、検非違使はそんなことをしたのか。旦那に何か怨恨があるなら、盗人に罪を着せればいいだけである。
ならば何故三人別の証言にして真相をヤブの中にしようとしたのか。これはこの当時の犯人逮捕の方法に一石を投じようとしたに違いない。
こうやって霊媒で証言を得る方法は確実ではなく、徒に捜査を混乱させるだけだから、もっと科学的手法に基づいた論理的捜査をしようという、そういった働きかけを上層部にするためだったに違いないのだ。
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