2017年5月5日金曜日

夢野久作のキャラメルと飴玉

キャラメルと飴玉

 キャラメルと飴玉が言い争いをするという、なんともファンシーな話である。

 五十歩百歩であるということを言いたいのかと思いきや、最後に違うどんでん返しがあるところがとてもおもしろい。最初に何気なく書いてある「お菓子箱のうちで喧嘩を始めました」というのが実は伏線である。

 何が原因で喧嘩になったのかは解らないが、いきなり言い争いをしている。キャラメルの主張は自分は個別梱包されていて、紙で包まれ、箱に入れられている事を誇りに思っており、飴は着るものもないからざまーみろといっている。

 兎も角、先ずはキャラメルと飴にとっては梱包のされ方が重要であるらしい。飴の談に因るとうちにいるときは裸だが、外に行くときには三角の紙に包まれるらしいが、いまいち何のことかはよくわからない。
 
 時代が違うとパッと聞いたときに解らないことが出てるのが難しい。少し、ググって見た感じ、正四面体っぽく紙を折ってその中に飴を入れたという習慣があったのかもしれない。まあ、画像検索で出てきただけなので確実にそうだとは言えないが。

 次の論点は名前が洋風だと生意気か、和風だと安っぽいかということに移る。当然キャラメルは洋風。飴は和風である。

 次は中に入っている物が何かということである。キャラメルの中には牛乳が入っている。飴の中には肉桂が入っている。どちらがより立派で健康的かで争う。

 そのキャラメルと飴の争いに他のお菓子も入ってきて乱闘になる。

 なんともスケールの小さな話である。ここまで見ていると、どちらも甘ったるいお菓子ということで然程違いは無いのに、小さなことで争って五十歩百歩だと言う話に落ち着きそうに思ってしまうところである。しかし、そこは夢野久作。外部から新たな登場人物が現れる。それが坊っちゃんだ。

 坊っちゃんがお菓子の箱を開けてみると、キャラメルやら飴やらが全てくっついてしまっており、金槌でパラパラに叩き割られて、食べられることになる。

 お菓子が喧嘩をすれば全てくっついてしまうのは当然だ。

 いや、そもそもお菓子はただの砂糖の塊であり、喧嘩をするものではない。坊っちゃん側から見たときにはお菓子の箱を開ける前の箱の中はブラックボックスである。観測者がいない中で何が行われていても不思議ではない。そして観測者がその箱を開け、中を観測したときに、お菓子がくっついているという結果が現れる。

 言うなればトイ・ストーリーの世界だ。玩具たちは人知れず大冒険をしているのかも知れないが、人はそれを知らない。

 この話自体は、母親が子供に聞かせる、まさに子供だましな話のように思う。

「ねえねえ、お母さん。何でお菓子はくっつくの?」
「それはね、箱の中で喧嘩をしているからだよ」

 こんな会話が何処かで行われていても何らおかしくはない。

 きっと夢野久作も子供に聞かせる与太話として、この話を作ったに違いない。子供の疑問は色々ある。何と言ってもまだこの世に出てきたばかりで、知らないことのほうが多いのだ。疑問が次から次へと出てくるのは当然だ。

 そして、子供は言われたことを信じやすい。だから、親は面白がって子供に煙突からサンタクロースが来ると言うようなトンデモ話を聞かせて喜ぶのだ。

 どうせ、真実はいずれ知ることになる。ならば子供の疑問にはお菓子の喧嘩の話のように、夢のある想像力を掻き立てるような解答を提示するのはとても親子関係として、そして、子供の想像力を育むキットとして優れているのではないだろうか。

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