2017年5月24日水曜日

芥川龍之介の猿蟹合戦

 猿蟹合戦の後日談である。
 シンデレラが結婚した後幸せになったのかと言うような話だ。

 猿蟹合戦というと蟹が猿に復讐するというものだ。その後どうなったのか、蟹とその仲間たちは皆幸せに暮らしたのか。

 実は皆捕まってしまったのだという。そりゃそうだ、なんせ殺人?殺猿をしてしまったのだから、これは罪は重い。捜査一課だって必至に捜査をして、犯人を割り出し、検事たちは死刑にしようと躍起になるに決っている。

 そして、捕まった蟹は死刑となり、その他の仲間たちは無期懲役になってしまった。なんと可愛そうな、復習をしただけなのに。と、考えてしまうのは蟹を主人公に善悪のバイアスを掛けて話を読んでいたからだろう。

 しかし、猿も悪いやつである。少なくとも青柿を蟹に投げて死に至らしめているのだから、その点に関しては罪に問われるべきだろう。傷害する意図があったかどうか分からない。と言うのはそうだとしても、結果として死に至らしめていたらそれはそれで、立派な犯罪だ。ここに猿を優遇する社会の働きが出ている。

 ところで、この復讐劇というと、忠臣蔵を思い出す。この忠臣蔵のもととなった事件の赤穂事件では、討ち入りの後どうなったのだろうか。討ち入りを果たした浪士たちは全員切腹を命じられた。これは今で言う死刑と同じようにとってしまいがちだが、意味合いが違う。今で言う死刑は斬首である。この切腹は斬首と違って、浪士たちの誇りを考慮した結果になっているのだ。
 つまり、日本では昔仇討ちを完全には否定しないというような文化があったことになる。

 しかし、蟹は死罪になってしまったという。仇討ちは一切認められないという強い社会的な意志が感じられる。これは昔と比べて社会が変わってしまったということなのだろうか。

 そして、最後の「君たちも大抵蟹なんですよ」という一文。これは仇討ちをしてはいけないという意味のものではない。裁判をすれば不利な立場に立つことになるというのをいっている。なぜなら、社会を作るのはいつだって頭がいい方である。ここで言うと猿が社会を作り出す正義なのだ。その正義に逆らってはいけない。蟹が猿に仕返しするためには猿よりも狡猾になり、社会を自分たちで変えていく必要がある。という赤い作品だったのでは無いだろうか。蟹だけに。

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