そのまんま絵本にできそうな、童話である。
ある日、猿が赤い蝋燭を拾う。それを花火だと思って持ち帰る。
何故花火と思ったのかはよくわからないが、猿の世界では、赤い蝋燭は見たことが無いもので、そういった物は花火だと判断するらしい。
そして、山に持ち帰った花火をみんなで見ようとするのだが、誰も火を付けたがるものはいない。
花火を見るのは好きでも、火をつけるのは恐ろしいし、やりたくないことなのだそうだ。
亀は頑張って火をつけようとするものの、途中で怖くなって首を縮めて隠れてしまう。
鼬はひどい近眼だったため、火を付けられず。
結局勇敢な猪が火をつけた。
しかし、みんなはびっくりして耳と目を閉じてしまった。
当然赤い蝋燭に火がついても、ぽんといって打ち上がることは無かった。
ほのぼのとした、動物どうしの姿が見えて、とても微笑ましい。
しかし、動物というのは花火が好きなのだろうか。
人間は花火を見てたまやーと言って囃し立てており、音が遅れて届くのを心待ちにしているところがあるが、動物からはどう見えているのだろうか。
動物が花火を楽しむのではなく、恐怖している可能性も本来は十分ありえる。
確かに、動物は全く遊ばないわけではない。日々食料を探して、危険から逃げ、子孫を残すことに躍起になっているが、高等な動物はそれらの必要がない時間には結構動物どうしでじゃれて遊んでいたりする。犬はボールを取りに行くし、猫は猫じゃらしを追いかける。烏は滑り台を滑って遊んだりするそうだ。
そう考えると、花火を楽しんでいるのは人間だけないと考える事もできる。
夜に、花火が上がると、人間は空を見上げる。それと同時に動物たちも巣穴から出てきて夜の空を見上げて、花火に対してうっとりする。
なんとも幻想的な光景である。
しかし、赤い蝋燭を見ただけでこれは花火なんじゃないかと思ってしまうほどに花火が好きというのはなかなか面白い。
赤ん坊が何を見てもこれは食べれるかもしれないと思って、口に含んで見るのと同じようなものだろうか。
そして、火をつけるのは嫌だと言うのはなんとも動物的だ。というよりも、火をつけるという発想が出てくるのが面白い。火を使うのは人間の専売特許かと思いきや、森の動物達にもつけることはできる。
本当にそんなことができたら、毎日山火事になりそうなものだが。
そして、怖くても、花火見たさに火をつける。せっかくつけたのにやはり怖くなって目と耳を塞ぐ。
まさに、怖いもの見たさ、そして強烈な好奇心の表れだ。
いかにやってみたいと思っても、電車の非常停止ボタンを押すことのできない、私とは大きな差がある。
結果としては花火は見ることができない。そりゃそうだ、花火では無く蝋燭なんだから。
しかし、これはそんな動物たちの滑稽さを笑うものでは無いだろう。寧ろ、結果は伴わないことにでも、果敢に挑戦していく勇ましさ、恐怖を克服しようとする頑張りが素晴らしいと思える作品なのだと思う。
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